『日の出・日の入りの計算―天体の出没時刻の求め方』(長沢工1999地人書館)を数日前から読み直しています。この本は前、ブログで紹介しました。
数年ぶりなので忘れている部分も多く、だからすごく楽しめています。日の出の時刻など、その辺のサイトで簡単に調べることができるでしょう。あるいはそういうアプリもきっとあるでしょうし、それどころかPythonあたりならコード1行で求めることができるかも知れません。それはそれで素晴らしいことですが、しかしそればかりでは日の出の時刻を計算する理屈は永遠に理解できません。この本はごまかすところなく、どうすれば日の出・日の入りの時刻を計算できるのか、大変丁寧に教えてくれます。もちろん計算の材料である天体の位置などのデータは必要ですし(理科年表を使う)、三角法の公式などは一部天下りに与えられていますが、それらをどのように使えば日の出の時刻を計算できるのか、高校数学の範囲で説明されています。「出没方程式」を導き、これを解いて日の出・日の入り、月の位置、恒星の位置などの計算ができるようになります。「この本に出会わなかったことを考えるとゾッとする」と感じる本のうちの1冊です。
本の紹介もしたくて書いているのですが、それだけではありません。今時ですから珍しくはないと思いますが、今勤めている学校はかなり、生徒同士で話し合いをさせたりグループで調べさせたり発表させたりなどに力を入れています。しかし何をどうしたって所詮生徒同士の話し合い。バカにするわけでも何でもなく、生徒は勉強するために学校に来ているのだから、当然いろいろな知識や技術はまだたいして持っていません。当たり前のことです。そういう生徒に話し合いをさせていったい何が出てくるんでしょうか。それなのになぜかこういう教育が流行っている。本当に不思議です。生徒はパワーポイントなどを達者に使い、きれいな資料を作ったりもしますが、これが流行りの「考える力」なんですか? こういう教育を進めたい人たちは、「考える力」がなくても『日の出・日の入りの計算』を理解できると思っているのかな? こういう本を読んでも「考える力」は身につかないと思っているんでしょうか?
別に心配なことがあります。特に若手で、「こういう感じの教育が素晴らしい!」と思い込んでしまっている先生がきっといるでしょう。10年経って「変なことに時間を使ってしまった」と後悔するかも知れません。民間の学者が旧石器の発掘捏造をした大事件がありました。堂々と「成果」を載せていた社会科の教科書も書き直されました。当時、「この先生について行けば間違いない!」と信じていた先生や学生たちもいたはずです。それがいきなり無になってしまった、そのときの彼らの心情は察するに余りあります。絶望くらいしても自然です。膨大な時間を無駄にしてしまったのだから。そういう意味で、「周りの先生に適当に合わせて、給料をもらえればまあいいや」でなく「これこそ本物の教育!」という先生の今後が心配です。
この先、実はやはり素晴らしい効果がある、なんて明らかになることも考えられなくはないですが、ぼくはこの類いの話はほぼ信用していません。流行りに慌てて飛びつくのではなく、自分が今まで勉強してきて「これなら確かである」と思えることを生徒に教えるのがよいと思います。