若い先生と「教員の仕事は生徒の進路に直接関わるから、うっかりするとミスなんかでヤバイ!ということがありますよね」とか「教科の力だけでなく他も必要」とか、そんな話をしました。その先生は「自分は教科の力は不足していて、なんとかしたい」みたいなことを言っていました。どうするのが正しいのか、なんてもう哲学みたいなもので、唯一の真実などありません。ただ「自分はこういう教員である、こういう教員を目指している」と決めておけば気持ちは楽です。何をするにも迷いがないからです。
その若い先生は分かりやすい授業が大事、みたいなことを考えているようでした。こういう機会でもなければ「それだけじゃダメでしょ」なんて意見などしないところですが、「まじレスすると……」と前置きしていくつか話しました。例えば実習生など、特に教員養成に力を入れている大学だったりするととにかく達者に授業をします。でも悪い言い方をすると見かけはいいけれど空気の入っていないタイヤみたいな、そんな感じです。教科書に「××××であることが分かっている」と書いてあっても気にしませんし、前に書いた記事 ↓
の「x=1では導関数の値は0だが、関数が増加する区間に入れる」も平気です。 よくある問題で、こんな話も教科書通りに説明して、ただそれだけ。↓
黙っていれば生徒は気づかなかったり、あるいは簡単に騙せます。そうすれば傍目には「生徒はよく分かっている! 分かりやすい素晴らしい授業だ!」となります。でもぼくは「授業しているアナタはそれでいいの?」と言いたいのです。
1コマの中でいろいろ話さなければならず、時間はあまりありませんが、「この内容は大学で勉強する××に□□□という形でつながっています」とか線形計画法のところで「世の中ではもっと規模の大きな問題が出てきます。不等式は800本、変数は1700万個の問題もあります」など、このブログで書いているようなことも話したいところです。
要するに……「分かりやすい」ばっかりでいいんですか、ということです。せっかく教員なんだから何か面白い話をしてあげればいいでしょう……。「ぼくが生徒だったらそういう先生に教わりたいです」と言っておきました。
ぼくが流行りの「アクティブラーニング」が気に入らない理由もここにあります。生徒同士が100時間話したって、生徒とは比較にならないほどの時間勉強している教員の知識、技術には及びません。ぼくが生徒なら「教科書に書いてあることはもう分かったから、もっといいこと教えてくれ!」と言いたいと思うところです。
その若い先生は割と「ここの××、どうなってるんですかね」など、教科書や問題集の説明の怪しそうなところを教員同士で話していて、勉強したそうな印象です。そういう突っ込みどころも面白いですが、他にもいい話はたくさんあるので勉強して欲しいと思います。
余談ですが……「ぼくが生徒だったらそういう先生に教わりたいです」というのはなかなか効果のありそうな台詞だな、という気がします。話し手の感想なのですから、聞いた人は「それは違う!」と反論するわけにもいきません。それにそもそも一定の説得力があります。「教員は勉強する必要はない!」という主張はもとより成立しないからです。……というわけでこれからも使ってみようと思います。