矢野健太郎という数学者がいました。1912年生まれ、1993年没。専門は微分幾何学(微分を使って図形の性質を研究する、数学の一分野)です。高校生向けの参考書も書いており、ぼくもお世話になりました(『解法のテクニック』って、今もあるかな?)。今でもまだそのうちの何冊かは持っています。彼はエッセイも結構書いていて、ぼくは大好きでよく読んでいました(『ゆかいな数学者たち』、『おかしなおなしな数学者たち』など、たくさん。これはいずれも新潮文庫)。こちらも、まだ売っているものがあります。数学が好きならお勧めです! エッセイに書いてあった話をいくつか紹介しましょう。
矢野先生は東京大学に入学しますが、受験の時、いわゆる滑り止めにB学校(某学校)を受けました。この学校、今では泣く子も黙る難関大学です。しかし矢野先生が受験した当時は書類さえ出せば受かったのだそうです。そのときB学校に矢野先生がお世話になっていた××先生が勤めていて(名前は忘れました……)、「矢野君、君が東大に受かったら教えてください。そうしたらぼくが学校に夜忍び込んでそっと君の入学願書を破いておいてあげるよ」と言ったそうです。矢野先生は「その後私が東大に受かってからもB学校は『入学金を支払え』とも何とも言ってこなかったから、多分××先生が私の書類を破いてくれたんでしょう」と書いています。矢野先生が亡くなって25年くらいになります。本も絶版になってしまうでしょう。そうしたらこんな話、誰も知る人がいなくなってしまいます。惜しいなあ……。
もうひとつ。ルべーグ積分の創始者、ルベーグの話です。高校の数学で勉強する積分はリーマン積分と言って、ルベーグ積分よりも使える範囲が狭いものです。そのルベーグが勤めている大学の学生が「ルベーグ先生って本当に優秀なんでしょうか?」と言ったそうです。「授業で黒板いっぱいに式を書き、最後のあたりで『あれ、結果が合わない、どこが違うんだろう』と検討し始め、黒板の最初の方に間違いを見つけるということがよくあるんです」。矢野先生は「その通り、優秀な数学者は計算が苦手、ということも珍しくないのです」と書いています。
そしてヒルベルト。ヒルベルトも大数学者です。数学のテキストにはヒルベルトの名前があちこちに出てきます。ある日、ヒルベルトが大学の食堂から出てきたところに誰かが声をかけます。話し終わってヒルベルトは「君、君が私に声をかけたとき、私はどっちに歩いていたかな?」「食堂から出てくるところでしたが」そうしたらヒルベルトは「そうか、それなら私はもう食事は済んでいるはずだ」と言ったそうです。もうひとつヒルベルトの話。ヒルベルトのズボンには穴が開いており、学生の間では有名になっていました。学生たちはなんとか失礼にならないように教えようとして、考えました。ある日、学生がヒルベルトとぶつかって「あ、すみません、ぶつかったはずみで先生のズボンが破けてしまいました」と言うとヒルベルトは「ああ、その穴は先月から開いていたようだよ」と答えたそうです。
難しい講義で有名な先生の話。最初、学生は教室いっぱいだったんですが、難しすぎで毎週減っていったそうです。そしてとうとう最後の一人に。ところがその学生がある週、風邪をひいて休みます。翌週授業に行ってみると講義がちょうど1回分くらい進んでいたそうです。つまり、先週は誰もいなかったのに先生は教室で授業をやっていたらしいのです。矢野先生は「数学の先生には、自分の頭を整理するために授業をする人もいるのです」と。
こんな感じの、寝る前とかにちょこっと読める数学のエッセイ、今もどこかにあるのかな……。「数学史」なんてことになると大げさだけれどもっと軽い、すぐ読めそうな話。矢野先生はこちらのセンスも素晴らしかったのだ、とつくづく感じます。