いぬおさんのおもしろ数学実験室

おいしい紅茶でも飲みながら数学、物理、工学、プログラミング、そして読書を楽しみましょう

生徒は教員の計算ミスに気づくが自分の試験で気づかないのはなぜか

 授業で結構計算ミスします。授業前にはノートを作って要所でそれを見ながら板書するのですが、丸写しするわけではありません。書いた式などを見ながらその場で計算して続きを書くことも多いのです。学生時代からもともと計算ミスは多い方なので、入試などでは注意していました。1、2行ごとに点検するとか。もちろん今はそこまでやりません。それにしても最近は多くなってきました…。

 生徒が指摘してくれるので助かりますが、不思議です。答案を見ると計算ミスが多いのに、教員の間違いには気づく。同じ感じで自分の試験でも注意していれば点も上がるのに…。生徒にもそう言っています。続いて、状況によって次の3つの話のうちのどれかをすることがあります。

イソップの童話だったかも知れません。昔、神様が人間を作ったとき、2つの革袋を紐でつないで人間の肩にかけたそうです。1つが前側、残りが後ろ側。神様はそれぞれの革袋に何かを入れました。生徒に「何を入れたと思う?」と聞きます。「食料」とかパンドラの箱の話を知っている生徒は「希望」とか、いろいろの返事です。童話では前側の袋には「他人の過ち」を、後ろ側の袋には「その人間の過ち」を入れたのだそうです。だから、人間は他人の過ちには気づくが自分の過ちには気づかないのです。

将棋の元名人、大山康晴は晩年、あまり局面を読まなかったのだそうです。将棋なら「あの駒がこう動いて、相手はこうして…」と考えるのが普通なのですが、多分何となく指していたのでしょうか。膨大な蓄積があり、雰囲気で指しても正しく指せたのかも知れません。ぼくはこの話をしたあと、「ぼくもここのところ何となく式変形してしまっています。大体正しいんだけど、やはり大山元名人の域には達していません」とか言います。どうせ冗談ですが、何となく式変形していることがあるのは事実で、大体当たるのですが失敗もあります。

ルベーグ積分を創始した数学者、ルベーグの講義を受けた学生が「ルベーグ先生は本当に有名な先生なのでしょうか。黒板で計算を始めて、最後で『結果が合わない』と気づいて逆に点検していくんですが、最初の方で『ああ、こんなところで間違えていたよ』ということがよくあるんです」と言ったそう。数学ができる、できないは計算ミスとは関係ないのです。これは矢野健太郎先生のエッセイで読みました。この話をすると生徒は苦笑いしています…。

 

…というわけで真面目な話を期待した皆さん、ゴメンナサイ…。