校長はそれっぽいことをよく言っていました。授業を受ける側もそう思っていることでしょう。つい最近も某大学の騒ぎでそんな話があったなあ……。しかしそもそも「面白い授業」って何でしょうか。いや、定義を聞こうというのではありません。……と言うか、定義などできないでしょう。ある人はそれこそお笑いでも見ているような面白さを期待するのでしょうし、別の人は、苦しくてもひと月先には大変な定理を証明できて気分がよい、というのが「面白い」なのかも知れません。どちらが正しい考え方だ、というものでもないでしょう。どう考えようが自由です。しかしもし、前者なら……教員は数学なら数学、物理なら物理の話をして飯を食っているわけですが、芸人ではありません。笑わせることに費やす余分な時間もエネルギーもありません。早い話、そういう期待をする人も、もし仕事をしているならその道のプロですよね。専門の分野で、お客様を笑わせてみるとよいでしょう……。
ぼくは「高校生、大学生なら自分で面白さを見つけるべき」と考えていますが、そうするとすぐまた、「教員は『学生は自分で面白さをみつけるべき』などと言う。だからといって授業の工夫をしないのは怠慢だ」とかいう人が現れます。これについてはその通りだと思います。でもこちらは評価が難しい。真実、怠慢な教員がいるのかも知れませんが、一般の人にも、学生にも、教員がした「工夫」が分からない場合があるからです。特に「生徒が元気に発言していれば工夫された授業」くらいの認識しかない人には、別の面でどんなに工夫した授業でも「この教員はろくに工夫していない」と映ることになると思います。
でんじろう先生みたいな人もいて、TVで楽しい実験を色々見せてくれています。被験者たちに手をつながせて高電圧の電流を流してしびれさせたり、空気砲(?)でろうそくの火を消したり。授業を受けている生徒も楽しいでしょう。こういう経験は大事だと思います。勉強のきっかけになるからです。かくいうぼくも、大学生のときマイスナー効果の実験を見せてもらい、びっくりした覚えがあります。磁石を紐でつるし、-200℃程度に冷やして超伝導状態にした器の中に下ろします。すると磁石は器の中で止まり、紐だけがが器に落ちます。ギョッとしました。見てはいけないものを見てしまった、と言うか……。タイミングによっては「これは凄い! なぜこんなことが起こるのか、勉強してみたい!」となったかも知れません。
大事なことですし、面白いと思います。しかし、きっかけに過ぎないということを忘れてはいけません。その先、99.999%は努力を積み重ねなければ本当に「面白い」ところにはたどり着けないのです。派手な実験でなく、地味にじっくり勉強をしてじっくり練習問題を解かないと超伝導の理論など理解できませんし、そうして理解してこそ「面白い!」なのだと思います。
要するに……単純に「面白い授業を!」なんて言ったって意味がないのです。