いぬおさんのおもしろ数学実験室

おいしい紅茶でも飲みながら数学、物理、工学、プログラミング、そして読書を楽しみましょう

必要条件、十分条件とは何か

 p、qを条件であるとします。数学で言う条件とは「xは偶数である」などのように変数に具体的な値を入れると真偽が定まるものでした。このとき、「pならばq」を条件文と呼びます。例えば「xが偶数ならばxは4の倍数である」などです。pを仮定、qを結論と言います。条件文は、仮定pが真であれば結論qも必ず真になるとき、真であると言います。例えば「xが偶数ならばxは4の倍数である」は真である条件文です。

 条件文「pならばq」が真であるとしましょう(この事実をp⇒qと表します)。このとき、pをqであるための十分条件、qをpであるための必要条件と言います。条件文の仮定が十分条件、結論が必要条件なのです。

分かりやすく書くと

(十分)⇒(必要)

となります。

 なぜ「十分」、「必要」なのでしょうか。授業では条件文の説明をした後、例として「○○高校の生徒ならば勉強が好きである」(皮肉です。なお、○○には実際の学校名を入れます)とか、「教員ならば人格者である」(皮肉です……)とかを挙げます。ちゃんと書くなら「xが○○高校の生徒であるならばxは勉強が好きである」などとするべきところですが、不自然になってしまいます。日本語として自然になるようにすればいいでしょう(「厳密にはこうです」と、タイミングを見て注意した方がいいでしょう)。あるいは記号で「○○高校の生徒⇒勉強が好き」と書いた方が見やすいかも知れません。正三角形ならば2等辺三角形である、なんて例では面白くありません。ここは少し遊びましょう。

 「○○高校の生徒である」は「勉強が好きである」ための十分条件です。勉強が好きな人はあちこちにいるでしょう。必ずしも○○高校の生徒である必要はありませんが、○○高校の生徒であれば間違いなく勉強好きです。つまり勉強好きであるためには、○○高校の生徒であれば十分です。だから「十分」条件なのです。

 次は必要条件。「勉強が好き」であることは、「○○高校の生徒である」ためには絶対に必要です。だって、○○高校の生徒なら必ず勉強好きのはずなのだから。勉強好きだからと言って、○○高校の生徒であるとは限りませんが、勉強が好きでなければ○○高校の生徒でないことは確実です。だから「勉強が好き」は必要条件なのです。

 試験では「十分条件」と書かせたりします。記号で答えさせたりもしますが、書かせると面白いです。「絶対条件」、「確定条件」などいろいろな答えが出てきます。日常語では「~~が絶対条件だ」くらいのことは言いますよね。数学ではまずいけど。「必要十分条件」を「絶対確定条件」などと書く生徒も出てきます。ぼくが高校生のとき、生物の先生が「トロンビン、プロトロンビン(物質名)を答えさせるといろいろ出てきて面白い」と言っていました。同じですね。

 ぼくが高校生の頃は今よりも時間をかけて必要条件、十分条件などについて教わりました。数学ではずっと使われる用語ですし、いいことだと思います。軌跡の証明のところでも「逆に」を今よりはるかに厳重にやっていました。平面上の点がこの条件を満たすならばその点はこの図形上にある。逆に、その図形上の点は必ず最初の条件を満たす。こうして軌跡が明らかになるのでした。最近は教科書でも

点が条件を満たす⇒点はある図形上にある

ということは示しますが、逆についてはあまり触れません。つまり「点はある図形上にある」が必要条件であることまでしか示さないことが多いのです。指導要領がそうなっているんですか? ほとんど見ないのでよく知りませんが。そういうこともあるので、ぼくは軌跡のところでは念入りに逆について注意します。しっかり証明する時間がなくても、なぜ必要なのか、その説明は十分しています。