いぬおさんのおもしろ数学実験室

おいしい紅茶でも飲みながら数学、物理、工学、プログラミング、そして読書を楽しみましょう

1が出続けたサイコロは、次に振ると1は出にくいのか?

 学生のときサークルの何人かで遊んでいて、サイコロが続けて3回、1の目だったことがありました。これを見た工学の先輩が「じゃあ、次に振ると1の目が出る確率は1/6より小さいね」と言ったのを聞いて、ぼくは耳を疑いました。理系ならなおさらですが、こういう話だと理系も文系も関係ない気がします。おかしいですよね……。

 サイコロに記憶の能力はありません。まさかサイコロが「オレはここまで1を続けて3回出した。次は違うのを出すかな」なんて考えているはずがないでしょう。あるいは、サイコロそのものはそんなことを考えていなくても、超自然的な何かがそうさせるのかも! 例えば神様のような存在があったとして、サイコロの目をコントロールしているのならまあ考えられなくもない。しかし工学の人ですよ……。

 ことによると、「3回続けて1が出る確率は1/216、4回なら1/1296、4回続けて出るなど考えにくい」みたいに思ったのかも知れません。でも、これは考え違いです。3回1が出ようが、次に1が出る確率は1/6です。先輩の主張通りなら「1が出にくいサイコロ」を作って販売することができます。重りなどを仕込んだらインチキですが、そんな必要はありません。たくさんのサイコロを用意して一斉に振ります。何千個もあればそのうち何個かは4回続けて1が出るでしょう。「そのサイコロは1が出にくい」のですからそう宣伝すれば売れるかも!!

 あはは、そんなことありっこないでしょう……。しかし落ち着いて考えてみると実はぼくも結構怪しげな推論をしている、と気づきます。ひょっとしてさっきの神様みたいな存在が実際に目をコントロールしている可能性はまったくないのでしょうか。まあぼくはそういうことはないと思っていますが。数学はこれに対してどう答えるのでしょうか。

 専門でもなく、大学で確率に関する授業は確か1単位取っただけです。その後何冊か本を読んだけれど、それによると……「数学はこういう問題に関知しない」ということです。通常、数学では、サイコロを振るときに出る目は「同様に確からしい」などと仮定して議論します。実際にどの目が出やすかろうが、関係ありません。

 同じような話はまだあって、「試行の独立」というのが教科書に載っています。例えばサイコロと硬貨を同時に振ります。どちらで何が出ようが、他方に影響はありません。こういうとき、2つの試行は独立である、と言います。そしてこのとき、サイコロで1、硬貨は表が出る確率は1/6×1/2、とかけ算で計算できることになっています。でも、本当に「他方に影響はない」のでしょうか。まあぼくはさっきと同様、まず影響はあるはずないと思いますが、実は自然界の不思議なシステムが互いの結果に微妙に影響を与えているのかも!!

 高校の教科書では何となく曖昧な書き方ですが、多分大学の確率論のテキストでは「確率がかけ算で与えられるとき試行は独立と定義する」みたいになっているはずです。確率は確率の公理(確率とはこういうものである、という定義があるのです。それが確率の公理)を満たすよう与えられていればよく、それがぼくたちが普通に考える確率に一致していようがいなかろうが関係ありません。さっきの「サイコロの目は1、硬貨が表の確率は1/100」と勝手に決めても構わないのです。ただ、(サイコロの目が1の確率)×(硬貨が表の確率)が全て、こうして勝手に決めた(サイコロの目は1、硬貨が表の確率)に一致している場合、「サイコロを振るという試行と硬貨を振るという試行は独立」と言うのです。つまり、確率の値の決め方によっては「2つの試行は独立ではない」となることもあるのです。

 最後の段落は分かりづらかったかも知れません。長くなるので今回はここまでにしますが、また後でもう少し書きたいと思います。