いぬおさんのおもしろ数学実験室

おいしい紅茶でも飲みながら数学、物理、工学、プログラミング、そして読書を楽しみましょう

知識はネットで調べればよい?

 門前の小僧、習わぬ経を読む。「寺の門前に住んでいる子供や、いつも僧のそばにいる子供は、日頃から僧の読経を聞いているから、いつのまにか般若心経(はんにゃしんぎょう)くらいは読めるようになる。平生(へいぜい)見聞きして慣れていれば知らず知らずその物事に習熟することのたとえ」だそうな。こちらの記事もどうぞ。

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 数学が分かりにくい大きな原因のひとつは、数学の対象(関数、数列、……)が抽象的であることです。そこでせめて「門前の小僧~」の教え通り、意味が多少分からなくてもずっと触れていることです。そうすれば抽象的な主張もそれなりになんとなく具体的に感じられるようになってくるものです。年末の大掃除みたいにときどき勉強するだけでは、数学など分かるようになるはずがありません。『キャプテン翼』の「ボールは友だち」と同じです。
 代数方程式のガロア群が可解でないとき、その方程式はべき根によって解けません(方程式の係数から加減乗除、n乗根を繰り返すことによっては解を得られない)……と言われたって、「ガロア群」とか「可解」とかメチャクチャ抽象的です。知らない人には「日本語であることは分かるけど」みたいなものでしょう。数学を勉強する人は「ガロア群」や「可解」の定義を何度も読み直したり、具体例を調べたり、自分で使ったりします。そうすると頭の中に何となく「ガロア群」や「可解」のイメージができ上がります。そうしてようやく「ガロア群」と聞いて「ああ、あれですね」ということになるんですね。最初は「門前の小僧」状態でもよい。肝心なのはその知識を何度も使う、そして憶え直すことでしょう。
 単なる知識には価値がない、ネットで調べればよいのだから……と(多分)本気で言っている人たちがいます。でも今調べたばかりの知識(特に今回みたいな抽象的な内容を持つものなど)は、縦横に使いこなせるとは到底思えません。いったん頭に入れ、その知識を何度も頭から引き出すことを繰り返してこそ「ああ、あれね」となるのだと思います。流行りの教育を実践している「知識はネットで調べればよい」の彼らはいったいどうやって勉強してきたんでしょうか。本当に疑問です。