いぬおさんのおもしろ数学実験室

おいしい紅茶でも飲みながら数学、物理、工学、プログラミング、そして読書を楽しみましょう

門前の小僧、習わぬ経を読む

 ぼくたちは中学生のとき、関数の定義を勉強させられていました。「集合Xの要素xに対し、集合Yの要素yがただひとつ決まるときy=f(x)などと書き、yはxの関数であると言う」とか、憶えさせられていたのです。「なんのこっちゃ」という感じだったのを憶えています。同じ頃、2進法も勉強しました。ぼくたちの世代はみんな

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などとやっていたのです。先生は説明していたのかも知れませんが、生徒側は多分理屈は分からず、計算の仕方だけを憶え(させられ)ていたんだと思います。まあ関数はどうかと思いますが、ぼくは2進法については「このくらい中学校で勉強しておいてもいいかな?」という意見です。日本では九九の表は9×9=81マスですが、中国では半分だと言います。例えば8×7は憶えずに7×8を憶えておけばいいということです。でもインドでは20×20、そして地方によっては99×99までだそうです! ぼくはインドに賛成です。確かに、数学をやる上で大事なのは「ここでは足すのか、引くのか、かけるのか、割るのか、そしてそれはなぜなのか」分かることなんだけれど、計算しまくって得られるものもあると思うのです。

 ちょっと違う話なのかも知れませんが、先へ行ってもまあ同じ。大学の数学だって、無駄に見えるかもしれないけれど式を書きまくることによって、抽象的に見えていた記号や式が何となく具体的な存在に思えるようになるというものでしょう。教員が「見ているだけではダメ。しっかり書くこと」と言うのはここに理由があるのだと思います。半分冗談で「大学に進むとテキストは Σ ばっかりで、違う記号が出てきたと思ったらそれは ∫」( Σ も ∫ も数学の記号。それぞれ数学B、Ⅱで出てくる)なんて言うと生徒は「えー!!」と反応(分からなくて大変、の意)したりしますが、さんざん使い慣れている人は別にどう、ってこともないでしょう。書くことをバカにせず、分からないと思ったら10回でも20回でも書くのです。慣れて、「なんとなくこんな感じのことを意味している」か、あるいは「意味はイマイチだけれど特に気圧(けお)されるわけでもない」が大事なのです。

 まとめると……「門前の小僧、習わぬ経を読む」です。数学は積み重ねだと言われるし理詰めの学問ですが、それだけではないということです。