いぬおさんのおもしろ数学実験室

おいしい紅茶でも飲みながら数学、物理、工学、プログラミング、そして読書を楽しみましょう

「分からない」はいけないのか?

 卒業式の歌、「仰げば尊し」で「今こそ別れめ」という一節がありますが、ぼくは「別れめ」は「分かれ目」だと思っていました(係り結びで「こそ~め」に意味があるんですよね。「今こそ別れよう」)。「小さい秋見つけた」の「うつろな目の色」も、「うつろなめ」というものがあって、その色のことなんだと思っていました。多分そのときの音楽の先生は意味を教えてくれていたんだとは思います。ぼくが忘れたか意味が分からなかったか、でしょう。しかしぼくはそれでも意味も分からず歌詞を覚えて、それでよいと思っています。
 授業は「とにかく分かりやすく!!」とずいぶん言われますが、ぼくはそれが100%正しいとは思っていません。授業を受ける学生はそのときにまあ8割か9割理解できれば十分で、分からないことは自分で解決すればそれでよし。その過程が本当の勉強だとも言えます。「あれは分からなかった」ということはあってもいいのです。それでダメならぼくなんかとうの昔に数学などあきらめています。後で分かったら「あのときの××はこういうことだったのか!」と感動するかも知れないし、場合によっては証明は分からなくてもその定理を使って問題を解くことの方がより大事なことだって多いと思います。分からないことを恐れてはいけないのです。
 この「分からない」についてぼくが大学生のとき、授業で先生が女の子の卒業生の話をしてくれました。その学生が大学を出て就職した会社の人が「優秀な学生だ」と言っていたのだそうです。彼女が大して優秀でもないことが分かっていたその先生は「??」と思ったのですが、会社の人によると「ちょっとやそっと分からないことがあっても全く動じないから」だそうです……。数学をやっていて「分からない」に慣れているんですね。半分笑い話みたいなもんですが、ある意味すごく大事なことだと思います。