星占いの話です。○○座と○○宮の違いについて書きましょう。「○○座生まれ」、なんてよく言いますよね。しかし最近(?)「○○宮生まれ」と書いてある雑誌なんかを見かけます。○○座と○○宮、何が違うのか?
少しだけ天文学の知識が必要です。まとめると「太陽は星座の間を黄道(こうどう)という曲線に沿って動き、その黄道の上には春分点という特別な点が乗っている」。これだけ知っていればとりあえずO.K.ですが一応簡単に説明しておきます。地球から見て、星たちは互いの間隔は変えずに位置を変え、だいたい24時間で元の位置に戻ります。蠍座はその形を保ったまま位置を変えるのです。地球を取り囲む大きなドーム(「天球」と呼ばれる)の内側に星座が張り付いていて、ドームが回っているイメージです。太陽は少し違っていて、星座とほぼ一緒に動いているのですが(だいたい24時間で元の位置に戻る)、加えて星座の間をジワジワと1日に1°くらいずつ動きます。そして1年かけ、太陽は天球上を1周します。そのコースが黄道なのです。天の赤道というのもあります。これは地球の赤道が乗っている平面と天球の交わりの円です。黄道と天の赤道の交点が春分点です。もし黄道が見えるなら、星座の間をぐるっと1周、地球の周りに曲線になっているはずです。
以下は『NHK市民大学 時と暦の科学』(永田久1989日本放送出版協会)を参考にしています。大変面白い本ですが、現在、手に入れにくいようです。
紀元前150年頃、ギリシャの天文学者ヒッパルコスが春分点を基準として黄道を30°刻みで12等分し、黄道付近に見える星座を順に割り当てました。黄道の各部分に「○○宮」と名前をつけたのです。例えば春分点付近には少し右に回ったあたりには牡羊座が見えていたので、そこは「白羊宮」と名付けました(実際にはこの名前自体は後に中国から来たものだそうです)。もちろん見える星座が30°刻みでビシッと変わるわけではないですから、黄道上の星座の広がりの角度は30°以上だったり以下だったりです。さて、実は春分点は地球の歳差運動(地軸が、すりこぎでゴマをするような動きをする)により、黄道上で少しずつ位置を変えています。ヒッパルコスの時代には春分点は魚座と牡羊座の間にあったのですが、現在では魚座の中です。そもそも○○宮というのは春分点を基準にして30°ずつに黄道を区切って名前をつけたものなのでした。ヒッパルコスの頃は魚座の位置が双魚宮と一致していましたが、基準の点である春分点が移動してしまった現在、双魚宮の位置は変わり、現在ではだいたい星座ひとつ分ズレてしまっています。だから「魚座生まれ」の意味で(流行に乗って?)「双魚宮」と言ったりすると曖昧になります。現在の魚座なのか、昔の魚座なのか。
『天文の世界史』(廣瀬匠2017インターナショナル新書)にも同じようなことが書いてあります。こちらも大変面白いと思います。読めばひと通り、昔から現在までの天文学の発展の流れがつかめます。今回のような楽しい雑学的な話もたくさん。
小さい頃、プラネタリウムに通っていました。そのプラネタリウムは今ではなくなってしまっています。残念です。しかしその影響でしょう、今でも天文学全般は大好きで、勉強もします。また書きます。