高校はそろそろ3学期が終わります。ぼくも大きな試験は終わらせ、あとは提出物の期限がまだなので、それを待って成績をつけて終わりです。
ここまで何校か経験しました。今時の流行りで、生徒のグループに発表させるような実践が盛んなところもありました。ぼくはこの類いのやり方はマイナスが大きいだけだと思っていますが、学校がそうしたいと言うのなら仕方ありません。
グループの発表ですが、グループの各生徒の発表のできへの寄与がどの程度かなど、ほとんど分からないはずです。従って当然、発表に成績をつけるならメンバー全員同じになるでしょう。グループに発表させている先生に話を聞いたことがあり、やはりそうみたいです。言われてみればぼくも高校で化学の実験など、何人かでグループを作ってやり、レポートをグループでひとつだけ書いた記憶があります。ひとりでは実験は難しかったりして、そういうときにグループを作るのは仕方のないことなんでしょうが、実験でも発表でも、全員同じ成績になるというのはやはりどうもヘンな話です。
しかも発表を聞いた生徒が評価をつけることもあるらしいです。互いに成績をつけ合うということでしょう。ここまでくると「そんなバカな、勘弁してくれ……」と言いたくなります。発表の良さがどうして生徒に分かるの? しかしネットで検索すると、そういうやり方、あるみたいです。「ピア評価」というのだそう。メリットがある、と。そうですか……。でもぼくはこんなことで成績をつけていいはずがないと思います。こういう経験はあまりできませんし、あちこちで話をできるからそういう意味ではよかったですが。
そうしたこととは別に、違和感があります。「発表させるのが生徒のためになる」という(真偽不明の)前提があり、特殊と思える仕組みで授業や試験を実施する。教員みんながそのつもりになっているのです。しかし恐らく、例えば通常の意味での学力が低い生徒が発表、発表とやっていても意味はないと思います。基礎的な知識を頭に入れ、その知識を使って考えるトレーニングの方がはるかに大事でしょう。上っ面だけ上手に見える発表がいくらできても、そんなことに価値があるとは思えません。ぼくが通うなら、発表、発表と騒いでいる学校は選ばないでしょう。
同じようなことはブログで何回か書いていますが、先生たちのことも心配です。最先端(?)の教育が10年も経って「これ、ダメでした」となったときに自分の仕事を振り返ってどう思うのか、ということです。人生ゲーム(タカラトミー)など気分転換に遊ぶのは楽しいですが、「人生ゲームで勝つ方法」を学校で教えていたらおかしいでしょう。架空の世界でうまくやっていく方法を何年もかけて身につけても仕方ありません。ぼくには生徒も先生たちも「これぞ真の教育」という空想の中で生きているように見えるのです。
追記:
ぼくは発表はさせていないし、もちろんお互いに評価させるなんてこともしていません!!