大学時代のサークルの友人、Hは自分で会社を興して、ネット関係のソフトを書いたりして暮らしています。年に1,2回くらいずつ会っていろいろ話します。前に会ったときには「8月いっぱいはパターン認識の勉強をする」と言っていました。彼はゼスチャーなどをソフトで見分けさせたいみたいです。例えば手話とか。彼はソフトを書いていて数学が必要になったらライブラリを使う、と言います。ライブラリというのは……例えば10000本くらいの式が並んだ連立方程式を解くときには、まさか手でやるわけにはいきませんから、コンピュータを使います。コンピュータといっても魔法の箱ではなく、人間がプログラム(コンピュータに対する動作の指示書)を書かなければなりません。しかし連立方程式を解きたい人はたくさんいますから、あらかじめプロ(など)がそういうソフトを作ってくれているのです。これがまあライブラリ。彼はそれを使う、というわけです。大量のデータを使うなどのときはいろんな面で十分な注意が必要で、プロが作ったライブラリを使うのが安全で確実、とされています。でも「出来合いのライブラリで、何か気に入らないことがあったり、改善したかったりしても、手の打ちようがないよね。自分で書いたソフトならできるけど」と言ってみたら「それはそうだ」。そして「自分は何も分からずに例えば行列の固有値を求めるライブラリ使って、なぜか固有値がきれいに求まって、それで気持ち悪くないのか? それにライブラリが何をやっているのか、意味が分かっている方がよい使い方ができるんじゃないの?」に対しては「そりゃそうだけど、限られた時間の中で結果は出さなきゃいけないから仕方ない」。彼はプロなわけですし、それが正しいんでしょう。ぼくは数学科出身ですし、問題を解く理屈自体が面白いからやっているだけなので、まあ彼がそういう反応をするだろうということは分かっていて聞きました。
ある部分ではアマチュアの方がよく勉強していることだってあります。アマチュアはそれで食っているわけではないですから、好きなだけ時間がかけられます。マジックでもそうで、同じ現象を起こせるならプロはできるだけ間違いのない、確実な方法を使うのだそうです。そういう意味で、こだわるのはアマチュア。自分の満足のためにあえて難しい方法を選ぶこともあるのです。