高校も「観点別評価」というのをやっています。「知識・技能」「思考・判断・表現」「主体的に学習に取り組む態度」などの観点から、生徒の達成度をA・B・Cの3段階で評価し(それぞれは客観的に判断できないとダメみたい)、それをもとに1~5の評定を付けるのだそう。そうだったのか……。
いや、くだらないですねえ……。今まではどうだったか。大きな試験(定期テスト)、提出物、小テストなどから総合的につけていました。提出物は「これは××点」など得点化し、「小テストは定期テストが100点なのでこれは10点満点にしよう」など、重みをつけて合計点を求めます。それをもとに成績をつけるのです。ま、観点別評価が大好きな人(推進した人たちとか)から見れば「古くさい方法!」ってところでしょう。しかしこのやり方はとにかくスッキリしており、「どうして自分はあれだけがんばったのに成績が6なのか」など、どう聞かれても答えられます。基準さえ明確なら観点別評価だってそうでしょうが、最初に書いた「客観的に判断できないとダメみたい」って可能なんですか……??? 可能だとしても、例えば試験を作るにしても「これは知識を問う問題」「これは表現を……」など、問題毎に決めておかなければならないのでは? そして、単純に「これは知識」などと割り切れないケースだってあるでしょう。試験問題だけではないのです、あらゆることを観点別に見て別々に評価するんでしょう。負担は相当増えると思います。探せば「うちの学校はこうしている」など、例もあるんだろうけれど、探す気にもなりません。
暇な人たちの机上の空論のように思います。それは勝手だけれど、他人に押しつけないで自分たちだけでやっていればいいでしょう。今回の、この明らかに作業量が増える新しい成績のつけ方。ただでさえ「ブラック業界」と言われ、教員のなり手も減っているのに仕事を増やしてどうするの……? いろいろ考えると、こんな「新しい教育」の類いはすべて眉唾くらいに考えておいた方がいい気がします。そう、ゆとり教育はどうなったんですか? 素晴らしい教育だったんでしょ? 共通テストの記述問題は? 次から次へとよく出てくるもんです。
現場の教員は自分の命(=時間)を削って仕事をしています。これ以上邪魔をしないで欲しいのです。
追記:
某都道府県の公立高校では真面目に観点別をやっているところもある、という話を非常勤の先生から聞きました。他にやること、ある気がしますが。
追記2:
やはり、「試験を作るにしても『これは知識を問う問題』『これは表現を……』など、問題毎に決めておかなければならない」のだそう。こういうことが好きな人は、他人に強制せず自分だけでやればよいでしょう。信念に従って満足いくまでどうぞ。それが実は正しいのかも知れないし。