いぬおさんのおもしろ数学実験室

おいしい紅茶でも飲みながら数学、物理、工学、プログラミング、そして読書を楽しみましょう

部活で集中力を鍛え、受験を突破できるのか

 仕事の環境が大きく変わり、時間に余裕ができました。前は夜10:00に家に帰り着く、なんて特に珍しいことでもありませんでした。勉強したいことはたくさんありますが翌朝も早いし、結局まとめて勉強するなら土日くらいしかありませんでした。よく教員が使う理屈で「隙間時間の活用」というのがあります。「君たちは日頃、行事や部活で忙しい。しかし登下校の時間、何かの待ち時間など、生活をよく点検すると隙間時間はたくさんある。そういうときに集中して勉強するのだ」みたいな。集会などでもちゃんとした立場の人がそういう話をしたりします。ある意味「成功」している人もそういうことを言います。「自分は学生時代、部活ばかりをやっていた。3年になってから集中して×××。集中力が大事」とかです。しかしですね……。

 この類いの話、一般化には無理があります。つまりそうやってうまくいった人は(これは言いたくはありませんが)もとからいわゆる「賢くて」余力があったのかも知れないのです。その辺を統計的に把握せず、うまくいった結果だけ都合よく取り上げたって無意味です。学力が足りないのなら十分時間をかけて必要なことをしなければならず、そのとき「隙間時間」なんてのんきなことを言っていてもダメです。今、ぼく自身は勉強がかなり進んでいます。時間がある程度自由になったからです。部活でも仕事でも、家に帰り着くのが夜9時、10時でその後勉強などじっくりできるはずがありません。強く実感しています。物理的に足りない時間はもうどうにもならないのですから、教員はそれをごまかすためにヘンな理屈を言わないことです。さらに、成功例を挙げて「だから大丈夫」と言うのもやめることです。ぼくはそれで失敗した生徒、たくさん知っていますよ。部活をやるのはよいのです。部活でも、委員会でも、行事に力を入れるのも、友だちと遊ぶのでも、好きなことはやればよろしい。どれも素晴らしいことですし当たり前の自由です。しかしそこへ、教員が「部活は大事、行事は大事。隙間時間で集中して、第1志望校へ合格した生徒もいる」とか言い出すからおかしくなるのです。トレードオフであって、完璧な両立はあり得ません。それができるのはもとからそういう方面の能力がある場合などです。

 教員の理屈にはまだぼくが「これはヘンだろ……」と思うものがあります。「部活で集中力を鍛え、受験を乗り切る」。まあ集中力はつくのでしょう。ただそれはその種目、競技をやる集中力を鍛えているだけです。ぼくは生徒に「落ち着いて考えてください」と説明します。「そもそも例えばバレーボールで鍛えた集中力が数学をやるのに役に立つの? そうだと言うなら数学で鍛えた集中力でバレボールがうまくなるはずだよね。ぼくは多分みんなより、数学や物理にかけては勉強するときの集中力はあると思っています。でもそういうぼくが、じゃあその集中力でバレーボールを練習して強いプレーヤーになれるのか? 『部活で培った集中力を勉強に役立てる』という話はこれほど荒唐無稽なんですよ。こうなるともうファンタジーに近い。数学ができるようになりたいなら数学を勉強すること。それが唯一の方法です。当たり前のことです」……と続けます。

 この「集中力ファンタジー」、実はファンタジーではないのかも知れません。でもそうだと主張したいのならうまくいった学生の例を挙げるだけではダメです。その生徒が持っていた資質や背景その他を調べ、効果があったことを科学的に、統計的に証明することです。

 せっかくここまで書いたので……「隙間時間の活用」で試験対策、つまり点をとにかく取れるように勉強することは少しならできるのかも知れません。しかしぼくはそんなことでは数学など、できるようにはならないと思います。たいていの人はガロア(若くして亡くなった天才数学者)とは違うのです。十分に時間をかけ、テキストの理屈をじっくり辿らずして本当の理解など得られないでしょう。「隙間時間」では無理です。