高校での学習評価が3観点(「知識・技能」「思考・判断・表現」「主体的に学習に取り組む態度」)に整理され、これらから総合的に成績をつけることになりました。学校は段階的にやっているのかどうか知りませんが、ぼくが退職するのと入れ替わりくらいに始まり、そのときはホッとしていました。バカバカしいことに巻き込まれたくなかったからです。しかし非常勤になっていくつか学校を回って成績をつけるようになり、結局3観点は無視できなくなっています。
ちゃんとやるなら、試験の問題も全部「この問題は『知識・技能』、これは『思考・判断・表現』」などと分類して、別々に得点を計算しなければなりません。入試のときあれだけ「とにかくミスのないように!」と騒いでいる教育委員会が(耳にたこができる……)、成績をつけるときにはわざわざミスの出やすいやり方をさせる。ただでさえ何でもかんでもやらされて大変なのに、さらにこんなことを強制するから教師の仕事はブラックだと言われるんだよ……。どこかの教育学者様が一緒になってこういうことを考えているんですか? そもそもこの「3観点」、密接で分かちがたいものでしょう。それを無理矢理機械的に分類して、何の意味があるんでしょうか。ま、「くらだない」と言わせていただきます。これを導入した人たち、きっとご自慢でしょう。思いついたことが全国で実施されているのだから。しかしそういう発想、ぼくには幼稚に思えます。
そんな人たちも多分ぼくと同じ、「3観点」などとは関係ない古いやり方でつけられた成績で入試を乗り切り、学生生活を送ってきたはずですよね。あ、だからこんなつまらないことを思いついたんですね!? 納得です。しかしこれからの生徒はスバラシイ3観点により、正しく成績をつけてもらえるのです。彼らがよい世の中にしてくれることでしょう。
冗談はともかく、導入した人を始め「3観点がよいのだ!」と本気で信じている人たちはいるでしょう。ぼくにはそういった人たちは架空の世界(=3観点がスバラシイ、という世界)に生きているように見えます。人生ゲームでお金をたくさん貯めて大喜びしているのと変わりません。人生ゲームなら他の人に何の害も与えないからいいですが、今回の話は迷惑を被る人がたくさんいることが問題です。
時間の無駄にしか思えない「3観点」ですが、よいこともあります。こうしてブログのネタになるのです。さて、ぼくはゲームも作りかけだし、ちゃんと勉強もしておかないと……。